2018.01.01
歴史写真館NO.79 摩周湖の魚族放流
摩周湖は魚のすまない湖といわれてきました。幕末の探検家・松浦武四郎が 記した著書『久摺日誌』で摩周湖の記述には
「…大きさも、その形も、ちょうど箕(ムイ-竹製の素具)のような黒い頭の魚がいるのを見た…」(『久摺日誌』丸山道子現代語訳から)
と、大きな魚がいたことが書かれています。しかし、これは、武四郎が探検の後で日誌を書き改めるときにどこかほかの湖と勘違いをしたのか、あるいはフィクションではないかと歴史研究者は考えています。
時代が下り、1926(大正15)年に内水面水産の試みとして、北海道庁がニジマ ス(スチールヘッド)を放流しました。1929(昭和4)年にはウチダザリガニ、塘路湖のエビ(種類不明)、阿寒湖のチカが、その魚たちの餌として移入されています。(『弟子屈町史』)
写真は摩周湖にわずかにある浜で、昭和初期ころ行われた放流作業の小屋と舟が見えます。筆者らが1988(昭和63年)に『久摺日誌』の足跡を調査したとき に、竜骨(舟の構造材)の残骸が確認できました。
てしかが郷土研究会(松橋)