2018.01.01
歴史写真館NO.14 駅弁の包装紙 (昭和21年)
釧網線は大正11年に釧路側と網走側の両方向から着工し、昭和6年9月 20 日に全線開通しました。昭和4年に釧路から弟子屈まで開通したときは、昭栄尋常小学校の児童たちが旗行列でお祝いをしています。また、この列車に乗って昭和6年に静岡県から仁多の高台を開拓する移民の人たちが弟子屈の駅に着きました。
蒸気機関車の頻繁な水補給や、単線のため対抗列車の通過待ちなどで停車時 間があり、鈍行列車で弟子屈から釧路まで2時間と少し、網走までは3時間弱のちょっとした旅でした。
昭和21年5月25日に青木商会は弟子屈(現摩周)駅構内での物品販売の営業免許を取得します。戦後の食糧事情が少しずつ良くなってきたころ、弟子屈駅 構内では青木商会の作った幕の内弁当、醤油味のしいたけ弁当の「駅弁」が売ら れていました。下り2番線釧路行きのホームには立ち喰い蕎麦もあって、網走行き1番線の乗客は跨線橋を駆け足で渡り蕎麦を食べ、蕎麦ダレのいい香と供に汽車の旅を楽しんでいました。
昭和43年ころから、蒸気機関車はディーゼル機関車に替わって停車時間も短 くなり、年々列車を利用する観光客も少なくなってきて、弟子屈駅構内の「べん とうェイ〜〜べんとう〜〜!」の売り声と肩から提げた売り台姿はなくなりました。あのまったりとした旅をする時間と醤油味のしいたけ弁当の味が懐かしい。 (写真:種市佐改コレクションから)
てしかが郷土研究会(松橋)