2018.01.01
歴史写真館NO.60 釧路川に浮かぶ川舟
1873(明治6)年から塘路に一時居住していた本山七右衛門は、1882(明治15) 年にテシカガを流れる釧路川の淵に温泉がわいていることを知ります。1883 (明治16)年にアシが茂る湿地帯を切り開いて家を建て、夏の間だけ過ごしていたのですが、1885(明治18)年には家族とともにテシカガに移住してきたのです。
1876(明治9)年には、釧路場所の佐野孫右衛門が川湯硫黄山(アトサヌプリ)の硫黄採掘に取りかかり、また、1885年に標茶に釧路集治監が開庁して、和人や駄馬の往来は多くなってきていたのですが、本山七右衛門が弟子屈で最初に定住をした和人でした。
「てしかが歴史写真館102号」で、1920(大正9)年の釧路川が大洪水を起こし たのち、河道を変えているお話をしました。写真は1902(明治35)年ころのもの で、弟子屈に定住した本山七右衛門が建てた本山旅館です。屋根の上に湯気抜 きが見えるのでお風呂であることが分かり、この旅館の裏を流れる釧路川に浮かべた川船に集まる人々です。
川船もここまでが限界でした。これ以上の川上は蛇行と急流で、大きな舟を引き上げるのも大変な作業で、下る舟を操ることも難しかったことでしょう。釧路川の流れを使って木材を運ぶ流送も、この辺りまでは一本丸太で流し、少し下流でいかだに組んで釧路まで流しています。
てしかが郷土研究会(松橋)