Lake Mashu

摩周湖DATA
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【位置】
北海道東部の阿寒摩周国立公園の東端部の川上郡弟子屈町にあり、湖の南東端には標高857mのカムイヌプリ(摩周岳)がそびえている。

【湖面標高】
摩周湖の湖面は海抜351mにあり、これを海抜500-700mの急傾斜のカルデラ壁がとり巻き、南東部にはカムイヌプリ(摩周岳)の険しい姿が見られる。
カルデラ壁と湖面との比高は150~350mに及ぶ。

【大きさ】
摩周湖の大きさは、第1展望台と裏摩周を結ぶ南西一北東方向を長軸として6.75km、これに直角にカムイシュ島を通る短経は3kmの楕円形。湖の面積は19.6平方km、周囲は20kmに及ぶ。湖の中央に浮ぶカムイシュ島は、長径(北西-南東)110m、短径40mで、湖面上に約30m突出し、周囲は断崖となっている。

【水深】
最深が212mで、平均水探は146mと報告されている。カムイシュ島付近の等深線から推測すると、島はドーム状に開き、湖底から噴出した火山がその頂部を僅かに湖面上にのぞかせていることがわかる。湖底は主に水深200m程で構成されており、その平坦部から湖岸に向けて50-70度の急傾斜となっている。これは湖が鍋一筒型であることを示している。

【水位、注入・排出】
摩周湖の水位については、ここ30年間の観測では従来と比較して高い状態で推移している。(2016年現在)水位の上下変動が少ないのは、環壁の亀裂を通じて、湖水が漏出しているからと考えられる。この種の湧水は、美留和、川湯温泉駅北側にもあり、摩周湖からの透水とみられている。

【底質】
摩周湖の底質については、湖岸近くでは岩石・砂であるが、水深35m-209.5mでは岩石、砂、赤泥・泥などで構成されており、砂と泥の割合がほぼ半々である。
北海道の底質泥の化学分折(1972年)から、軽石が微細化したものであると考えられる。

【摩周湖の成因と地形】
摩周湖の前身は摩周火山が陥没してできたカルデラである。摩周火山は屈斜路湖やアトサヌプリ火山群を中央部に抱く、惰円形の屈斜路カルデラ(東西26km、南北20km)の東端壁を貫いて噴出した雄大な成層火山である。
この火山は、その基部が海抜150m前後で示される、半径8~10数kmの大きさで、その山体斜面は湖の西-南側の川湯、美留和、弟子屈、虹別に今もその姿を見せている。その上部は陥没したため、山体は途中で水平に切られたようにカルデラ壁で示される。

【摩周湖周辺の地質】
摩周湖は火山湖であり、湖は激しい火山活動の跡を随所に残している。湖をとり巻く環壁には溶結疑灰岩、軽石流、基盤には溶岩流を見ることができる。


摩周湖はカルデラ湖

摩周湖は周囲20km、面積19.6平方kmのカルデラ湖としては日本国内で6番目に大きな湖です。
カルデラとはラテン語の「caldaria」が由来で、スペイン語やポルトガル語で「鍋」の意味があり、火山の噴火後に火口部が陥没してできた凹地のことを言います。この凹地に水が溜ってできたのがカルデラ湖です。
摩周湖はカルデラ湖の特徴を色濃く表します。海抜351mの湖岸から急角度で立ち上がる火口壁は150~350mもの高さに及び、その斜度は平均45度もあるのです。これほど険しい湖は他には見当たりません。湖の最大水深は212mであり、田沢湖、支笏湖、十和田湖、池田湖についで日本第5位の深さを有し、平均でも146mとなります。
流れ込む川がなくプランクトンなどが運び込まれないため、最近ではその低下が懸念されながらも未だ世界一級を誇る透明度と水深の深さが相まって、摩周湖独特の藍を流したような湖水を作りあげているのです。
摩周湖周辺はその素晴しい自然を保護するために国立公園の中でも特別保護地区に指定されています。
人の侵入を拒み続けるこの湖の美しさ、険しさ、神秘さは今なお多くの人々を魅了してやまないのです。

摩周湖の生い立ち

30数万年前(氷河時代)に今の屈斜路湖のあたりにあった屈斜路火山が噴出し、以降巨大噴火を繰り返しました。膨大な火砕流を噴出して跡地が陥没し、約3万年前(旧石器時代)に「屈斜路カルデラ」が形成されたのです。その規模は阿蘇カルデラをしのぐ日本第1位、世界でも有数の大カルデラです。
その屈斜路カルデラ形成の段階で、1万数千年前にできた火山が摩周火山であり、約8千年前ごろまで盛んに噴火を繰り返しました。そして約7千年前(縄文時代早期)に大規模な噴火をおこし、摩周カルデラを形成したのです。その火砕流は現在の弟子屈市街地に高さ数mの台地を築き、火山灰が根釧原野を覆う大規模なものでした。
その後、約3千年の期間を要し、この大きなくぼみに徐々に水が蓄積されて、今より広い「摩周湖」が誕生するのです。そして約4千年前(縄文時代中期)に摩周岳が噴出し活動を開始。これにより摩周湖の東側約4分の1が埋められ、ほぼ現在の姿へと形を変えたのです。
摩周岳も約千年前(平安時代)の大噴火により山頂が破壊され現在の姿となり、以降その活動を休止しています。この噴火は噴出量から見ると、昭和52年の有珠山大噴火の約10倍と推定されています。また湖の中央にはカムイシュ島火山も噴出しました。湖面から見えている部分の高さは約30mにすぎませんが、高さ約240mの火山の頂上がほんの少し顔を出しているのです。
摩周湖はカルデラ湖の特徴を示しており、最深212m、平均でも146mほどとなります。周囲約20km、面積19.6平方kmとカルデラ湖としては日本第6位の表面積を有し、日本を代表するこの美しい湖は、多くの人々を魅了し続けています。


摩周湖の水

人々を魅了してやまない摩周湖の色は、言うまでもなくその透明度からきています。摩周湖は注ぎ込む川がなく、雨がその水源のほとんどを占めています。そのため不純物が運び込まれず、プランクトンや粘土などの浮遊物が極めて少ない美しい水をたたえているのです。この状態が藍を流したような深い独特の青色を作り出しているのです。
また、摩周湖には流れ出る川もありません。しかし湖の水位はほぼ一定に保たれています。それはダムのように絶え間なく水を溜める湖が、自らの圧力で地下をくぐり地下水となり、わき出しているからなのです。変わらず豊富な水をたたえ続ける摩周湖は,私たちの生活に潤いを与える、日本で最後の水がめといえるかもしれません。


摩周湖の霧

「霧の摩周湖」という有名な歌があるほど、摩周湖は霧で有名な湖です。
観光シーズンの5月から10月の半年間で、摩周湖が一日中見える日は137日、時々見える日は54日、全く見えない日は29日ほどです(平成20年~平成30年の11年間の平均値)。摩周湖の霧は特に6月から7月にかけ多くなり、この時期には一日中湖が見える日は一月の半分ほどとなり、時々見える日は10日ほど、全く見えない日は6日ほどになります。また、摩周湖では一寸先が見えない濃霧から、急変して素晴しい晴天になることがしばしば起こります。訪れる人々を一喜一憂させる、まさに神秘の湖なのです。


湖は環境の鏡

流れ込む川も流れ出す川もなく、高さ150~350mにおよぶ深いカルデラ壁にすっぽりと包まれた摩周湖は、周囲の影響を極めて受けづらい環境にあります。とすれば湖水に影響を与えるものは、水系からのものではなく大気の状態が最も大きい要因といえるでしょう。
摩周湖は、まさに世界的規模の大気汚染の状況を忠実に映し出す鏡なのです。
地球の環境変化を知るモニタリング調査の対象となっている、世界でも数少ない湖の一つ摩周湖は、人類にとって貴重で尊い存在なのです。


摩周湖の名前の由来 「定かではない語源」

北海道の地名の主なものは、ほとんどがアイヌ語由来のもので、その語源には意味が含まれています。
たとえば屈斜路湖の場合、湖が川になって流れ出す口をアイヌ語でクッチャロ(のど口)といい、その近くに昔から自然資源が豊かなコタン(村)があったため、和人がその名を湖名にして屈斜路湖と呼ぶことにしたと言われています。
しかし摩周湖の「マシュウ」は美しい名にもかかわらず、語源が定かではありません。
アイヌの人々は「マシュウ」とは呼ばずに「キンタン・カムイ・ト(山にある・神の・湖)」と呼んでいたようですし、摩周湖は何から何まで神秘的とでもいうほかなさそうです。
摩周湖の語源について2つの説を紹介します。
「マシ・ウン・トー(カモメ・の・沼)」説(永田方正説)
北海道西部、北部ではカモメのことを「マシ」とも言っており、摩周湖にカモメが飛んでいるのを見たという人もいるようで、このような説があります。
「マ・シュ(小島の・おばあさん)」説(佐藤直太郎説)
見失った孫を探しさまよい摩周湖のほとりまで来てしまったおばあさんが、悲しみと疲労で動けなくなってしまい摩周湖の小島になってしまったというカムイシュ島の伝説があります。


大アメマス伝説

北海道の湖には大きなアメマスが住んでいたという伝説が数多くあります。サケ科の魚で湖で大きく成長するものもいるアメマスを、アイヌの人々は地震や災害を生む魚として怖れていたようですが、深い淵を持つ湖の神秘性と、巨大なもの、未知のものの恐怖が作り出した言い伝えなのでしょう。
そんな大アメマスにまつわるスケールの大きな伝説が摩周湖にもありますので紹介します。
【摩周湖の大アメマス】
摩周湖に棲む大アメマスが、ある時湖畔に水を飲みに来たシカを丸のみにしたため、シカの角が腹に刺さって破れて死んでしまいました。
それが湖底をくぐって西別川の湧水池に来てひっかかり、水の出口をふさいでしまったため、摩周湖の水は今にもあふれそうになってしまいました。
それを見た鳥の神様のカッコウが近くの集落に知らせたところ、川上の集落では安全な土地へ逃げましたが、知らせを信じない川下の集落の人々は、湧水池に行って大アメマスを発見し、喜んでそれを引き抜いてしまいました。たまりにたまった摩周湖の水はおそろしい勢いで噴き出し洪水になり、川下の人だけでなくあたりの土地の一切を押し流してしまいました。
それで今の平らな根釧原野ができたのです。


摩周の植物

摩周湖周辺地帯は、気候的には温帯の中でもずっと北寄りに位置する亜寒帯に入ることから、私たちが平地と考えている場所でさえ、高山にも似た厳しい気象条件となり、植物相としては極めて高山に近い亜高山性から高山性の条件の中にあると言えるのです。
一般的に高山植物とは、森林限界(大雪山で千数百m)より上の高山帯に成育するものを指しますが、摩周岳や摩周カルデラの尾根では、標高が1,000mにも満たないのに、高山植物を見ることができる場所があります。
この地域では低・高にとらわれず、局所的に高山植物が混生した独自の分布を形成しているのです。
こうしたこの地域の植物の低地植生から、亜高山性のダケカンバ(シラカンバの仲間)やミネザクラなどの低木類のほか、登山道周辺などではエゾカラマツソウやハクサンチドリなどが、また、摩周岳の岩場ではエゾツツジやイワギキョウなどの可憐で美しい高山植物が見られます。
なお摩周にはあまり知られていませんが、唯一の固有種として報告されているマシュウヨモギ(キク科)が成育しています。固体数が極めて限られるうえ、湖岸植生のため一般に観察することは残念ながらできず、図鑑などで紹介されることも少ない、まさに幻の植物と言えます。
摩周カルデラ内の植物は、湖の誕生以来7千年を経て現在も当時の様相を見せています。森林はカルデラ壁の切り立った岩盤を除き、豊かな植物に覆われてしっかりと摩周湖を守っているのです。
森はダケカンバやアオダモ、シナノキ、オヒョウニレ、トドマツ、エゾマツなど、周辺地域の植物の低地植生とやや似通って、針葉樹と広葉樹の混合林を構成しています。しかし、近年は大変残念ながらエゾシカによる樹皮食いで、オヒョウニレなどの高木類が被害に遭い、今後の摩周湖の環境が懸念されています。

武四郎洞窟(ホロ)

みなさんは松浦武四郎という人物を、そして、摩周湖の湖岸にはこの松浦武四郎が一夜を過ごしたと言われる洞窟があるのを知っていますか。
文政元年(1818年)に伊勢国(現在の三重県)に生まれた武四郎は、全国を股にかけ各地の名所・旧跡を訪ね歩いた探検家で、その足跡は、当時異国とされていた蝦夷地(北海道)にまで及びました。
日本北端の領土である蝦夷地の豊富な資源に着目し、他国からの防衛強化の必要性を考えた幕府は、そんな武四郎を蝦夷地を詳しく知る第一人者として注目。安政2年(1855年)には蝦夷地調査の特命を与えたのでした。
そして、翌年3月に渡道した武四郎は、蝦夷地開拓の第一歩とも言える調査を開始。約3年にわたり先人未踏の内陸を踏査し、詳細な地図(山川地理取調図)を作ったばかりでなく、その調査をもとに地誌(東西蝦夷山川地理取調日誌)をまとめ上げました。
この日誌は地方別8冊からなり、そのうちの道東編にあたる「久摺日誌」には、安政5年(1858年)4月4日から7日にかけて摩周湖周辺を訪れた際の様子が記載されています。
6日に摩周岳東側の湖岸に降り立ち泊まった洞窟を、武四郎は「大きさ5丈(1丈は約3.03m)に奥行きも5丈の大岩窟。その中は2つに割れて穴が2つになっている」と表現しています。この洞窟を当時のアイヌの人々は「神の宿るいわや」として祭り、猟の際の休憩場所などに利用していたと言われています。

恵みの湧水

摩周湖には入り込む川も流れ出る川もありませんが、湖の水位は一定に保たれています。
普通に考えると、流出入河川がない場合には、雨が降ると湖水は増加するはずです。にもかかわらず、水位が常に一定ということは、摩周湖の水はどこかへ漏れていると考えられるでしょう。つまり湧水となってわき出しているというわけです。
摩周湖周辺には、美留和ふ化場やあめます川、仁多川、西別川ふ化場などいくつもの湧水ポイントがあり、その起源は摩周湖の水が地下へ浸透したものと言われています。
皆さんの中には、「それらは本当に摩周湖の湧水なのだろうか」と疑問を持つ方もいると思いますが、この謎を科学的に解明しようと、摩周湖の水位と周辺湧水の湧出量の変動との関係や水質について調査が行われています。
降水量等から算出された摩周湖から地下へしみ込む水の量は、平均すると1秒当たり約0.7トンで、水位の低下でみた場合は1年間で約12cm低下していることになります。それは降水等の状況から日々変動していますが、周辺湧水量の70%を湧出する西別川源流の湧水量と比較した場合、数ヶ月の期間のずれで変動パターンがほぼ一致しています。また、摩周湖と周辺の水質について、ナトリウムやカルシウム、塩素などの分析を行った結果、その含有成分は同じで含有割合も極めて近いことが判明しています。これらの調査結果から、周辺の湧水は摩周湖の水であり、それらは長い時間をかけて地下を通り、わき出していることがわかっています。
ちなみに、西別川源流では1秒当たり約1.5トン(摩周湖の湧水以外を含む)もの水がわき出しています。これは1秒で家庭のお風呂が溢れる量といえばわかりやすいかもしれません。摩周湖の水はまさに恵みの水なのです。


湖に流れ込む「せせらぎ」

摩周ブルーと呼ばれる独特の藍を流したかのような深い青色が、多くの人々を魅了する摩周湖。その美しい湖水の色を作り出しているのは、言うまでもなく昭和6年に41.6mという世界一の数値を記録した透明度です。
摩周湖は世界一から70年を過ぎた現在も、世界有数の透明度を維持しています。その美しさを保ち続けている要因として、人の手が及びにくい環境であることが挙げられます。高さ150~350mにも及ぶカルデラ壁が湖面に突き刺さるように湖を囲み、容易に人を近づけなかったので、人的汚染が極めて少ないのです。
また、この他にもいくつかの理由が挙げられます。その一つは、湖に流れ込む川が一本もないことです。つまり川が運び込む動植物プランクトンや土砂などで水が濁る心配がないのです。
ところで皆さん、実は摩周湖に水を送り込んでいる沢が、一つだけあるのを知っていますか。とても小さな沢ですが、年中かれることなく、幅30cm程の流れが摩周湖に続いています。流れ込む川が一本もないという表現は、正確には正しくないのかもしれませんが、この沢の水も摩周湖を覆う浸透性の高い火山灰層にろ過された後、湖に入り込むため、水質への影響は直接的にはないと思われます。
摩周湖の源は雨水と雪解け水です。それらは直接湖面に降り注ぐだけでなく、周囲の斜面を伝い、湖に入りますが、その切り立ったカルデラ壁の岩盤には水で流される土は少なく、また他の部分の土壌は前述したように、吸収力が高くろ過作用があることから、染み込んだ水が極めて不純物の少ない状態で湖へ入り込みます。
摩周湖の美しさはその類い希な環境が作り出した奇跡なのです。


カムイシュ島

摩周湖にえくぼのように唯一浮かぶ島がカムイシュ島。カムイシュとはアイヌ語で「神となった老婆」を意味します。見えている部分の大きさは約110m×40mで、水面からの高さは約30mほどですが、じつはこの島、高さ約240mの火山の頂上部がほんの少しだけ水面上に顔を出しているのです。
(カムイシュ島の伝説)
昔、稚内のコタンの強い酋長がだまし討ちにあい殺されてしまいました。酋長の母は孫を抱き、闇にまぎれて逃げました。しかし、老婆は山野を逃げまどううちに命より大切な孫を見失ってしまいました。愛する孫をいく日も探し続けて摩周湖のほとりまで来た老婆は、カムイヌプリ(摩周岳の神)に一夜の宿をお願いしたところ、快く引き受けてくれました。老婆はそのまま悲しみと疲労で動けず、摩周湖の小島(カムイシュ島)になってしまいました。今でもこの島に人が行くと、孫が来たのかとうれし涙の雨や雪を降らせるということです。


摩周岳

摩周湖の東岸(展望台正面)に雄姿を見せているのが摩周岳です。標高は857mで、頂上はゴツゴツした溶岩の岩場になっています。アイヌの人々がカムイヌプリ(神の山)と呼んであがめたのも納得できるような様相は、神秘の湖、摩周湖をよりいっそう特徴づけています。第一展望台から頂上までは、徒歩3時間程度で登ることができますが、入山に際しては登山の装備が必要でしょう。頂上からの眺めは抜群に良く、眼下の摩周湖、目もくらむ摩周岳の火口底、阿寒の山並から根釧原野、大雪、知床の峰々の遠望など、雄大な景観を堪能することができます。