2018.01.01

 先日、約半世紀ぶりに国産旅客機の開発が実現し、初飛行に成功したというニュースがもたらされました。小型とはいえ、初めてのジェット機ということもあり、日本の航空史上に新たな歴史の1ページが刻まれた瞬間だったといえます。

 

「わが町にも以前、飛行場がありました」

 そう言うと、驚きの声を上げる町民の方が増えてきたかもしれません。

弟子屈飛行場は1955(昭和30)年に場外離発着場(一定の条件を満たした上で、当該大臣の許可を得て航空機の離発着ができる場所)として誕生し、15年後に供用開始となっています。定期運航はなく、北海道航空 (本社・札幌市)による 摩周湖や屈斜路湖などへの遊覧飛行を中心に、調査や航空写真撮影のための小型機離発着場として活用されました。

 今から30年ほど前に発行された阿寒国立公園指定50周年記念誌には、上空から撮影された写真の傍らに「森と湖と火山の大パノラマは、人間の喜怒哀楽などチッポケなものにさえ感じさせてくれます」という文字が添えられています。雄大な景観を見下ろして楽しむ空中散歩の拠点も、利用者数の低迷や維持管理費という大きな壁を飛び越えることはできず、2009年に惜しまれつつ歴史に幕を下ろしました。全国で唯一だった町営の飛行場は、国および地方公共団体が管理・運営する飛行場の廃止例として、国内初でもありました。

 残念な結末かもしれませんが、弟子屈飛行場の存在も、記憶に刻まれる『航跡』だということは確かです。

てしかが郷土研究会(斎藤)