2018.01.01
歴史写真館NO.121 義経さんと屈斜路神社に伝わること
ウランコシの和光神社とポントの湖水神社は、1928(昭和3)年に両地域の人々が協議した結果、和琴半島に和琴神社として合祀(ごうし・合わせまつること)することになった。
また、昔からコタンの人々に「サマイクルカムイ(天地創造神)」と言われて崇拝されていた半島の先端の奇岩が、明治の末ころの暴風雨のため湖中に転落し、姿を消してしまった。
サマイクルカムイは元来、源義経ではない。しかし、義経が北海道に渡って人々にいろいろな新生活法を教えたという伝説から、世の中をつくった神様なら義経だという解釈もあった。そのため、この岩を和琴の名所にしようと湖底から引き揚げ、和琴温泉に建立し「義経岩」としたことが伝えられている。
その後、これでは信仰の対象とはなり得ないとの考えもあった。1938 (昭和13)年、屈斜路大地震によって温泉が湧出しなくなったこともあり、和琴校で不要になった安奉殿を譲り受け、この岩をまつることになり、 現在の屈斜路神社となった。
時代は変わり、義経伝説を話す人に会うことがなくなった。
(弟子屈町史1号から)
てしかが郷土研究会(菊池)