2018.01.01
歴史写真館NO.98 民芸品の行方
ドン、ドン、ドスーン、手おので荒々しく大まかな形を作り。
コン、コン、コーン、たたきノミが生き生きとした態の姿を誕生させます。
心地よい音が遠くまで響くアイヌ木彫り独自の技法。1965(昭和40)年5月、20歳の私が初めて体験した、阿寒アイヌ部落(当時の呼称)の民芸品制作現場です。
アイヌ彫刻家として、今も先頭を歩いている藤戸竹喜、床ヌブリ、滝口政満、3 氏の若き姿もありました。大正時代、旭川と八雲において、既に彫刻技術を持っていたアイヌの人たちによって作られた木彫りの熊が、アイヌ民芸品の始まりだと伝えられています。
わが町でも、湯治客の増加に伴い温泉町としての拡大が進み、民芸品制作も 盛んになりました。屈斜路では1933(昭和8)年に制作が始まり、1963(昭和38) 年には古丹に民芸品共同製作所が作られ、技術の継承も図られました。当時は夏だけの観光でしたので、冬季間は制作だけに専念できる、ゆるやかでゆとりのある行程でしたが、通年観光になると販売に重きを置くようになり、商品制作を卸問屋に頼ることになりました。さらに、道内販売だけにとどまらず「北海道物産展」を集客の目玉とする道外大型店にも競って参加。本来は地方の文化や物産を紹介する目的の「物産展」ですが、大感況が次第に「物販店」に流れを変え、販売競争や新製品開発競争が激化、参加意義が大きく失われてしまいました。
道内各地、各店でも民芸品の同一化が進み、価格競争が中心になり、わが町でも民芸品店の衰退が続いているのが現状です。いつでもどこでも見たり、買えたりする時の流れを変えることはできませんが、弟子屈町に来なければ、見られない、買えないという小さな流れをコツコツと重ねていかなければと思う 日々です。
サァ!!新しい態の木彫り制作に一歩を踏み出しますか。
※写真はてしかがの蔵に展示されているニポポ(アイヌの郷土玩具)と木彫りの熊です。
てしかが郷土研究会(充洋)