2018.01.01

 弟子屈を流れる釧路川は、明治〜大正〜昭和〜平成と歴史と共に、時代を映す鏡のようです。

 昔は、物資や人々の移動の大動脈としての役割を果たした釧路川も、1931(昭 和6)年の鉄道(釧網線)の開通と前後してその役割を終えると、主役の座から降りることとなりましたが、私の記憶の中で鮮烈に思い出すのが「流送祭り」です。

昭和の30年代から50年代は、年中を通じて観光関連のお祭りがたくさんありました。中でも特に、釧路川の流送祭りは、一時期の弟子屈の経済を支えた木材業の象徴でもありました。今のようなモータリゼーション(自動車社会)の前で、道路も完備されておらず、のんびり蒸気機関車に揺られながら、釧路や根室地方、網走からと、たくさんの人々が遊びに来ていた良き時代に、弟子屈橋を中心に華やかで、大層にぎやかなお祭りでした。

 弟子屈橋の上流から、丸太に乗った木遣り(きやり・木材を運ぶ人)のおじさんたちが 次々と、橋の上流の1メートルの落差の落ち込み(河川改修のため、現在はない)を見事に乗り切ると、盛大な拍手と声援が湧き起こっていたことを思い出します。

 私も子ども心に、早く大人になって、木遣りのおじさんのようにかっこよく丸太に乗ってみたいという思いがありました。

 それから幾十年過ぎ、今、釧路川といえばカヌーイストの憧れの川であり、カヌーを利用した川下りの体験型観光で有名になりました。

 私もカヌーガイドとして釧路川を漕ぎながら、お客さまに昔の思い出いを語りつつ、これ以上変わらない釧路川でいてほしいと願っています。

てしかが郷土研究会(平塚)