2018.01.01

 

 郷土研究会の一員として「てしかがの蔵」の資料整理をしていたときに、1枚の看板が目に留まりました。

 それは、1976年(昭和51)年の役場庁舎火災の折、公民館を仮庁舎として使用したときの看板でした。新庁舎落成まで1年あまり、その役目を果たし、今は 「てしかがの蔵」に収蔵されているのです。

 当時を思い起こせば、1976年6月5日未明、役場庁舎から出火。木造の建物は一瞬のうちに火の海となり、駆けつけてくれた多くの町民や職員の前で、火柱を上げて焼け落ちてしまいました。

 あの、誰もがぼうぜんとした異常事態から立ち直り、役場庁舎の復旧・復興へと前進できたのは、町長以下役場職員、そして町議会の決意と努力のおかげだと思います。さらに忘れてならないことは、町民の皆さんの理解と支援による機運に恵まれたことです。

 1977(昭和52)年10月17日、新庁舎落成記念式のとき、私の隣にいた町民の方は「立派な庁舎も出来て、弟子屈はこれから良くなるぞ…」と言っていました。私もそう思い、うれしかったことを覚えています。 ちなみに、当時の弟子屈町の人口は、約12,000人でした。

てしかが郷土研究会(江幡)