2018.01.01

 現在では世界的に名を知られている「摩周湖」ですが、大正年代まではあまり人の訪れることのない湖でした。当時、摩周湖までは、現在のJR摩周駅の裏辺りから崖を上って、原野の中を人が通れるだけの道を一日がかりで行っていた、とのことです。

 昭和初年、斜路土木現業所長の永山在兼は、将来自動車の時代が来ることや、阿寒湖周辺が国立公園になる構想もあったことから、釧路地方の道路整備に着手します。その仕事の一つに、摩周湖へ向かう道路建設もありました。

 永山は1929(昭和4)年に、この摩周道路約9.8キロメートルを、150日間ほどの突貫工事で完成させました。しかし、道路はカーブが多く“摩周登山道路”と呼ばれたようで、設計変更をするなど改良工事も行われたようです。

 写真は昭和30年代の冬の風景で、現在の国道243号から摩周第1展望台へ向かう三差路です。今は、写真の左側の場所がガソリンスタンド、右側がコンビニエンスストアになっています。この道路の周辺には当時、釧路開拓実習場や戦後開拓者の集落が点在していて、生命線的道路でもありました。

てしかが郷土研究会(松橋)

※写真提供/渡辺順二氏