2018.01.01
歴史写真館NO.70 大正時代の アトサヌプリ硫黄山の硫黄採掘
アトサヌプリ硫黄山の硫黄採掘は、1877(明治10)年に佐野孫右衛門によって始められました。鉱山経営はその後、1885(明治18)年に山田慎、1887(明治20)年には安田善次郎と替わっていきます。
安田は、山元から標茶の精錬所までの硫黄鉱石の輸送に鉄道を取り入れたり、蒸気精錬方法を取り入れるなど、近代的な経営を行いました。
しかし、硫黄の採掘量減少や品質低下、世界的な硫黄需要の不安定、さらに鉱区を借り受ける期間を10年間と契約していたことから、1897(明治30) 年に硫黄採掘事業を中止し、休山にしました。
安田から山田に硫黄の採掘権が返された後も、鉱区を借りて経営をする人が残った硫黄をさらうように硫黄採掘は続けられていました。
写真は、大正年間のアトサヌプリ硫黄山の様子です。安田が経営していた時代の鉄道はなく、硫黄の運搬は佐野が硫黄採掘を始めたころと同じ馬になっています。佐野は馬に背負わせて運びましたが、馬車になっています。
てしかが郷土研究会(松橋)