2018.01.01

 北海道の明治・大正・昭和の始めころ、冬の移動は馬そりが活躍しました。雪 て固められた道を滑る馬そりは、夏の悪路とは違って、馬車以上に大量の荷物 や人を運ぶことができました。

 馬そりの製作技術は、ロシアのウラジオストクやサハリンなどの沿海地方に住む人たちから学びました。一番難しかったのは、太い角材の台木の先端を蒸籠(せいろう)で蒸(ふか)し、柔らかくしてから少しずつ曲げることでした。

 写真の馬そりは、1909(明治42)年から1924(昭和13) 年まで、川上御料農地の嘱託医と弟子屈村の村医として、村民の診療にあたってくれた長谷部徳美医師が使用したものです。ロシア型を改良し、先端が大きく内側に曲がった札幌型と思われます。

 長谷部医師は、急患の知らせがあると御者が操る馬そりに乗り、往診カバン を抱え、湯たんぽと毛布に包まり暖を取って、町内はもちろんのこと、開拓地へ も往診に駆けつけてくれました。現金収入の少ない開拓民は、お金のかかる病院へは行きたがらなかったのですが、長谷部医師は、どんなに遠くへ往診へ行っても診療代のことには触れず、また請求もしなかったそうです。

てしかが郷土研究会(松橋)

 

参考文献

『てしかが開拓醫(い) 長谷部 徳美』(弟子屈むかしむか史) 山本 広 著

『北海道の民具と職人−北の生活文庫第3巻』 北の生活文庫企画編集会議