2018.01.01

 人が生活するためには、まず水を確保しなければなりません。弟子屈にも、縄文の時代から人々が生活をした遺跡がたくさんあります。遺跡近くの地形が変えられる前には、わき水があったとも言われています。

 火山地帯の水は、地質のいろいろな物質が落け込んでいて、飲料に適さないこともあります。弟子屈に衛生的に処理された生活用水がパイプライで供給されたのは、川湯簡易水道が1955(昭和30) 年、弟子屈上水道が1957(昭和32)年でした。それまでの水の確保は、沢の水、わき水、掘り抜き井戸、打ち込み井戸でした。自家用水源のない家庭では、共同の水場からバケツなどで運ばなくてはなりません。

 運んだ水は、台所の脇にある“水瓶”に貯めます。陶製の水瓶は熱を伝えづらく、貯められてある水は夏は冷たく、冬は凍りづらいすぐれた容器です。

 水の入った重い容器を家まで運ぶ毎日の水くみは、子どもたちの仕事の一つで、つらい仕事をとおして水の大切さを知っていくのです。

てしかが郷土研究会(松橋)