2018.01.01
歴史写真館NO.39 柾(まさ)
屋根の材料は今ではトタン板がほとんどですが、昔はトタンの価格が高く、一般の家庭には松の木で作った柾で屋根を葺(ふ)いていました。1935(昭和10)年ころまでは手割り柾で、その後は機械柾が普及し、1950(昭和25)年ころからトタン屋根が出てくるようになってきたのです。
手割り柾は、エゾ松やトド松の丸太を20センチくらいの長さに、両引きというのこぎりで玉切りします。玉切りした丸太をミカンを割るように小さくし、小割りにした木の目(まさめ・柾目)に沿って2ミリくらいの厚さに割り、柾にします。職人技と木の性質が良くないとできません。
機械柾は、ミカン割りした丸太を煮沸してやわらかくし、鋳鉄(ちゅうてつ)製の円盤に刃物を付け、回転させる突柾機で柾をつくります。手割り柾の何十倍も生産できましたが、屋根材としての寿命はもちませんでした。(手割柾は17〜18年、機械柾は12年くらい)
柾屋根の葺き方は、柾を2段に互い違いに重ね、職人は長さ21ミリの柾釘(まさくぎ)を口に含み、舌を使ってくぎの頭を出して、くぎ押さえのついた四角い金づちで次々と打つのです。
戦後のことですが、1分間に60本くらいの速さで口からくぎを出して柾屋根を葺く職人を見て、進駐軍の兵士が「あれは魔法の金づちか?」と驚いていました。
上記については、町内在住の佐々木啓祐氏からお話を伺い、要約しました。 (氏の父は、弟子屈で1934(昭和9)年から1963(昭和38)年まで機械柾を作っていました)
聞き書き:てしかが郷土研究会(松橋)
※進駐軍:太平洋戦争後、ポツダム宣言の執行や戦後処理のため連合軍(イギリス・アメリカ・中国・ソビエト・カナダなど)が日本に1945(昭和20)年9月から1952(昭和27)年4月28日まで日本に駐屯し、間接統治をした。