2018.01.01
歴史写真館NO.21 有線放送
現在の情報伝達方法は、テレビやラジオパソコン・電話(携帯)で伝わり、町民には町の広報紙が配布されます。
開拓民が入植した頃は家とのあいだが離れていて、回覧板や口伝えで情報が伝えられていました。遠隔地との通信方法は郵便や電話(モールス信号)です。
弟子屈では、昭和4年に弟子屈郵便局に電話が開通し、弟子屈市街地に昭和7年、川湯は昭和9年に特設電話が開設されています。役所や商店・旅館以外の一般の多くの人々は近くの郵便局へ行って電話をする状態でした。戦後、農村公衆電話や地域団体加入電話が設置されましたが、郵便局などに電話があるだけで、やはり不便このうえないものでした。
有線放送は昭和31年に政府が「新農村建設計画」を策定し、町・弟子屈町農協・弟子屈町開拓農協の三者が経費を負担して昭和33年4月、開拓部落に有線放送が初めて流れています。
放送は、役場庁舎の片隅の放送室から、両農協や役場からの連絡事項、営農指導、ラジオや自主番組を製作して放送し情報・文化の伝達に活躍しました。電灯が灯ったと同時に新聞情報もままならない開拓部落民は喜んだことでしょう。
時代は情報伝達方法が発達、日本電信電話公社(現NTT)が農村集団電話化を進め、有線放送は昭和45年3月その役目を終えました。
てしかが郷土研究会(松橋)