名人達人リスト
更新日:2012年 2月 24日 (金)
渡辺隆幸さん



☆馬の魅力は何でしょうか?
 人間に応えてくれることです。手塩にかけて育ててあげればあげるほど、それに応えてくれる。自分の飯より馬の飯というほど馬が大好きです。
☆あなたにとって馬とは?
 どれほど馬が好きでもやはり生活するためにも馬が必要です。馬の生産を手掛け、トレッキングなどの観光へも携われるのが馬です。
☆あなたから見た、弟子屈町の魅力はなんですか?
 やはり、硫黄山や摩周湖、屈斜路湖、温泉など自然の豊かなところです。
☆今後の夢はなんですか?
 ばんえい競馬でオープン馬、重賞馬をつくりたい!
☆あなたが馬に関わるようになったきっかけは?
 馬の話をする前にまずはその時代背景から、これまでに一番苦労したこと、失敗したことから説明しなければならないだろう。
昭和15年大阪で生まれた長谷川さん、幼少時は戦争の真っ最中で食べ物もろくになく空襲を受けては避難する生活を送っていました。そんな中、父母のいた川湯へと疎開することが決まり、いよいよ北海道川湯での生活が始まります。当時5歳でした。現在のような道路などなく、ただただ森が広がり、馬がいなければ生活などできない時代です。生活が苦しかった長谷川さんは川湯から弟子屈まで「馬喰さん」(馬の売買をする人のこと)の買った馬を1頭500円で3、4頭の馬を引っ張っていく仕事をし家族のために働いていた、というのが馬との出会いのきっかけになります。
そして時は流れて昭和21年。開拓の仕事に携わるようになると、馬との生活もさらに濃くなり、様々な仕事を始めます。農業や酪農、トラックの運転手や硫黄山での仕事など生活をしていくためには何でもこなしてきましたが、失敗の連続で長続きしませんでした。
 そんな長谷川さんに転機が訪れます。1970年、知り合いからの依頼で大阪万博の太陽の塔に作成のお手伝いに大阪へ行きました。そこで、長谷川さんは大阪で流行っている民宿に泊まり、開墾後の新しい川湯の未来として民宿やパーク牧場など、「観光」という名の大きな夢を見ます。それが現在の川湯パーク牧場と民宿でした。大阪から帰ってきた当初、民宿なんてまだ川湯では流行っていない時代、村八分にされながらも民宿とパーク牧場を始めます。それが現在の川湯パーク牧場、馬との関わりのはじめの一歩でした。



やはりこの北海道を開拓してきた人たちだからこそ、名人達人になることができるのだとその重みを感じ、お話を聞いていると自分たちもなんでもできる可能性があるんだということを思うことができるとても大切なインタビューでした。

長谷川さんありがとうございました!

川湯パーク牧場についてはこちらから
記・人財育成部会



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